東京駅舎 (1914)
設計:辰野金吾


辰野金吾が是非やりたかった仕事
ルネサンスを基調として、アムステルダム駅やイギリスのクイーン・アン様式風の赤煉瓦を使用



東京駅の契約が取れた時、辰野はこおどりして事務所に駆け込んだという。 彼の本懐は日銀、東京駅、そして国会議事堂を自分で設計したいという事だった。 3つのうち2つまで実現した。 さて、これが建った時、丸の内はまだ原野のようだったという(信じられない!)。 しかもこんな大きなものを建てる必要性は一般には考えられていなかった。 辰野はオランダのアムステルダム駅を参考にしたと言われている。 確かに赤煉瓦であることは似ているが、 しかし辰野の東京駅にあるようなルネサンス風のピラスター(付け柱)はない。 やはり辰野自身の判断で、それまで彼が銀行建築で使ったオーダーのような厳粛さを感じさせるもの を入れたのだろう。 ちなみにアムステルダム駅と現・東京駅は屋根が似ているが、 東京駅のものは焼夷弾で焼けた屋根を戦後に臨時修復したものである。 もともと東京駅の屋根はもっと豪華なドームだった。  



1970年代などに、かつての国鉄が東京駅の建て替えを計画した。 当時の利用人口に比べて駅舎の機能が足りない・追いつかないというのがその理由だったが、 この時は日本建築学会その他の働きかけで難を脱した。 例えば 赤レンガの東京駅を愛する市民の会 を参照いただきたい。 その当時の議論が新建築1977年9月号にも出ているが、 東京駅には当初のドーム屋根がないから価値が低くなったとか、辰野の代表作といえないとか、 老朽化したから‥とか、建築史的にいかに意味がないか訴える解体派の論調が目につく。 それに対し保存派は、この駅が人々にいかに親しまれてきたかを訴えている。  



 
   
 



  屋根が掛け替えられた以後のこのスタイルにも、すでに何十年もの「歴史」が刻まれている。 人々の「親しみ」は、歴史が堆積した古いものに集まる傾向があり、 その親しみの<質>は、どんなに立派な現代建築を代わりに持ってきても埋め合わせが出来ないような、 そういう<質>なのである。1977年のその議論を見ていると、 その点を認識していない解体派の意見がとても多かった。 もっと立派なものを建てて感心させてやるから文句を言うな!、というのである。 皆さんどう思います。あれの代役を果たせる「現代」建築があると思います?  これは保存運動の要になるポイントである。 過去の堆積したものにやどるその堆積した<質>は、過去を持たない何ものによっても代替できないのである。



  しかも当時の議論を見ると、都市というものに果たしてそういう歴史的なものが必要か否か、 という点からして合意がなかった。 歴史的なものと共にある、という事は都市生活が豊かになる為の大切な条件である(と思う)。 しかも東京にはそういう歴史を担った建物の絶対数が少ないのである (過去に散々破壊したから)。 だから東京駅がいかに希少価値か分かろうというものだ。



  確かにドーム内壁の造作は間延びして感じられる。 そんなに様式建築として「質が高い」とは言えないかも知れない。 細かく見るとくたびれた所が多く「引退させてあげようよ」という議論が起こった事も納得する。 しかしたかが東京駅、されど東京駅、 今となってはこの東京駅舎は何ものにも代えられない(と思う)。 そういう保存の認識が高まったから、 昨今では東京駅舎を残す事を前提に上空のスペースが切り売りされるまでになった。 保存を主張する側からすればひと安心だ。 私は保存派の一員として、いまつらつら書いてきたわけだけど、 でもこれをご覧の皆さんには、もう一度、頭をリセットして検討し直して頂きたい。 残す価値はあるのか?‥





掲載誌: 
所在地:東京都千代田区丸の内1-9-1
行き方:JR東京駅の丸の内側(西側)にある
ここでの分類:戦前様式
訪問年月日:03/03/1
参考:新建築1977年9月号
その他情報:軌10




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