東京国立博物館本館 (旧・東京帝室博物館) (1933)
設計:渡辺仁


1930年の有名なコンペで選ばれた帝冠様式の代表建築



この建物は1930年(昭和5年)に開催されたコンペにより有名である。 昭和6年といえば軍部の大陸進出が既に盛んであり、国粋的ナショナリズムが台頭していた。 言ってみれば、日本国民は、大陸進出や朝鮮の植民化を行いつつ、 自分達を世界の中でどう位置づけるべきか模索していたのだ。 日本文化の独自性や大亜細亜の団結にかかわる言説が膾炙するのも、 良し悪しはともかく自然な成り行きだった。 そのような中で昭和5年に東京帝室博物館建築設計懸賞が発表され 「日本趣味を基調とする東洋式」が要請された。  



このコンペでよく知られているのは、 コルビュジェの許から帰国した前川国男が「日本趣味」を無視した案を出して、堂々落選(!)した事だ。 他の上位案は全て日本趣味であり、これが世に言う帝冠様式である。 一等を取った渡辺仁の案は切妻屋根を横に走らせ、切妻を強調した点で他と異なる。 しかし実物を見ると、同じ帝冠様式でも 京都市立美術館 より大味だと感じる。 京都市立美術館は、それなりに日本・中国的意匠を咀嚼・表現しようとした力作に見える。 それは外観ディテールの緻密さに現れている。 それに対し国立博物館はディテール密度が粗く感じる。 これでは、RC筐体に、どうせ形だけ伝統屋根や伝統形態を使えばよいと割り切ったハリボテにさえ見える。 しかも、先に建った隣の表慶館との関係を渡辺はどう考えたのだろうか。 (しかし一方、展示室に関しては、その採光や万全の保存の為にかなりの工夫・配慮があると聞いた事がある。 そういう内部の最重要部分については本ページでは述べていないのでご注意)。  



 
   
 



  それにしても渡辺仁という建築家は、この東京帝室博物館の前後に 服部時計店 (32?)、 第一生命保険相互会社 (現・第一生命館)(38)を作っている。 服部時計店はルネサンスを基調とした商店建築で、彼の秀作と言われている。 第一生命保険相互会社はシンプルながらファサードを縦に貫く列柱を持ち、 バロックのジャイアントオーダーを彷彿とさせるようなモダン(!?)オフィスビルである。 彼は、様式建築からモダンなビルに建ち変わってゆく時代を生きた建築家だった。 帝冠様式は、それが流行りだから彼のレパートリーに加えられた1つのエピソードだったのだろうか。 「これぞ我が道」と思って帝冠様式に執念を燃やし作り続けた、なんて話ではない。 とにかく何でもこなしたって感じだ。 それにしてもこの人、1973年に86才で死んでいる。戦後は注目作を作らなかったのだろうか。



  さて、中に入ってみよう。ど〜んと階段室が広くて天窓があって立派なのは京都市立美術館より上出来である。 ただ雰囲気としては如何にも昭和はじめの建物はさもありなん、という感じ。 内装に使う石材の質感が淀んでいて、全体をぼやけた印象にする。 装飾は凝ったところもあるのに、全体で見ると散漫である。 しかしそれだからこそ、如何にも昭和初期という時代を感じさせる。 天井のデザインといい階段の造作といい出入口の装飾といい、 要するにこれも、 洋風ではなく「日本趣味」をどう表現しようか考え工夫した結果うまれた雰囲気なのだ。 確かこういう雰囲気の料亭のホールがあったような気がしてくるが思い出さない。



  結局この建物は、帝冠様式とか、 当時の日本趣味をどう評価するかで全く見方が変わってくる建物だ。 上で色々けなしたけど、実は私個人はこれはこれなりだと思っている。 時代の中で、帝冠様式というのは建築家がよく言うように反動で一時的な気の迷いであったのではない (少なくともそれだけではない)。 時代の「日本」アイデンティティを求める国民の気持ちには、 単なる反動かどうかでは推しはかれない真実味があったのであって、 この東京帝室博物館を始めとする帝冠様式はそれに一応こたえていたのだ。



  全然関係ない事を言うけど、 現代のモダンな商業施設は単に「利潤追求」だとして非難されることがある反面、 それで済まされない立派なデザイン内容が認められている。 それは、消費者という一般の人々の気持ちに浸透する(≒応える)デザインだからではなかろうか。 帝冠様式も、反動だとして非難される反面、 一般の人々の気持ちに応えた部分を持つがゆえに反動だとして片づけ切れない部分がある。 私が何が言いたいかお分かりになろうか。 どんな形でかはともかく、同時代の人々の気持ちに応えてあげている部分があるなら尊重するしかないのだ。 だから、もし商業建築を認めてあげるなら、 帝冠様式もちゃんと認めてあげないとフェアではないような気がする。 商業建築と帝冠様式だなんて、絶対誰も並置して論じないのは分かっているけど、 だからこそ敢えて言ってみた。





掲載誌: 
所在地:東京都台東区上野公園
行き方:上野駅の西口を降りて北上
ここでの分類:帝冠様式
訪問年月日:03/02/28
参考:鈴木博之、山口廣『新建築学大系5 近代・現代建築史』彰国社、1993,『現代建築の軌跡』新建築1995年12月臨時増刊、新建築社
その他情報:史407/M京243、http://www.tnm.jp/




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