奏楽堂 (1890)
設計:山口半六、久留正道
* 明治以来始めてできた西洋音楽の演奏ホールと附属建物 * 慣れ親しみが湧く建物。1970年代に保存問題が起きて有名になった
この建物を設計した山口半六は、 当時の日本人建築家にしては珍しいパリ留学生(エコール・デ・ポリテクニーク出身者)であるが、 この建物が何か意匠で有名だとか、そういう事はない。 むしろ実に淡々とした明治20年代の木造洋風施設である。 二階のホールは多少は豪華であるものの、全体としては質素で飾らない。 各部屋を覗くと白い壁で、控えめな装飾は黙して語らず、 中で行われたであろうレッスンや会合といったアクティビティが逆に浮かび上がってくるような気がする。 そう、徹底してここは出来事がおきた場所なのだ。 出来事が主役であるような飾らない施設。 しかし、出来事が主役である為には妙に下品で気にかかるような事があってはならない。 建物は黙す為にも品位を保っている必要があった。
上野奏楽堂は、非常に熱心な保存運動が起こったことで有名である。 この建物は明治23年に日本で初めての本格的な演奏会場(兼講堂)として、 いまの東京芸大の敷地の一角に建てられた。 初の本格演奏施設だし木造だし、その意味で建築史的にも重要ではある (演奏会場には当時なりの数々の工夫がしてあるらしいが、ここでは特にとり上げない)。 何といっても日本の音楽の歴史を担ってきたという意味で重要な建物といえる。 その奏楽堂は戦前から老朽化がひどかった。 昭和54年には明治村からの要請に応える形で、芸大側が奏楽堂の犬山(明治村)移転を正式決定する。
これが関係者の危機感をつのらせた。 日本建築学会や、黛俊郎など芸大OBの名だたる音楽家が、 犬山移転に反対し現地保存のための嘆願書を出した。 しかしその後は議論が平行線を辿り、大学当局と保存派の間は険悪になった。 もはや全面対決しかないと思われた矢先の昭和56年、当時の台東区長が調停に買ってでる。 都内で移築先を転々と探したあげく、最終的に昭和57年1月、 当時の鈴木都知事の判断により上野公園への移築に許可がおりた。 奏楽堂はもとあった芸大の敷地からほんの200〜300mの場所に移築保存されることに決定されたのだった。
奏楽堂の保存問題は多くのことを考えさせる。 建築史的に重要だとか日本音楽史において重要だとかいう一種の「レッテル付け」の話であれば、 明治村に持っていってもそんなに文句は出なかった筈だ。 どこかこぎれいな場所で崇められておればそれで良かった筈だ。 しかし、黛俊郎ひきいる保存派の訴えはあくまで「現地保存」だった。なぜだろう?。 その場所になければ日本音楽の生き証人とは言えないのだ(十全には)。 奏楽堂が「その場所にあること」は、奏楽堂という建物存在の「オーセンティシティ」の一部だった。 それは、上野と芸大と奏楽堂が歴史の流れから言って切っても切れない関係だからである。 これは単に「一般常識」や「知識・イメージ」上の問題ではなく、もっと現象的な理由を含んでいる。 建物を訪れた時に、建物が「そこにあった」という事の記憶のうちにありつづけている事、これが重視されたのだ。
なぜ場所とセットになっている事がそんなに重要かというと、 場所と建物が重なって作った<記憶>を相俟って継承しているからに他ならない。 ではその<記憶>とは何か?。 上野界隈と芸大・奏楽堂を行き来する音楽関係者、 そして演奏会などに来る外来の人々(その中には皇室も入る)が積み重ねた出来事が、 建物と回りの環境、そして都市そのものに、いわば「刻みつけられている」。 人々は出来事そのものは知らなくても、出来事があったという「出来事性」みたいなものに出会う。 それは、建物にも、界隈の環境にも、そして上野という都市にイメージされるものの中にも付着している。 個々の出来事を知っていればなお味わい深いけれども、知らなくても何かを感じる事ができるのだ。 そういう建物+環境が持つ不思議な性質(!)こそが、保存運動の要となるのである (注:ちなみに鈴木博之はゲニウスロキを軸として奏楽堂問題を扱っている)。
そして、そういう<記憶>の白眉は何といっても奏楽堂そのものだ。 一枚々々の壁板、屋根の瓦に至るまで、あらゆるものが当時の人々の愛着と相互浸透している。 部屋の中の低い天井、きしむ階段の造作、まったりとした時間の流れる音楽ホール、‥‥。 現代的で饒舌な「空間性」を求めるのもよいけれど、 この控えめで日常性に自ら身を隠したような「空間性」にもぜひ出会ってみられたい。 山口半六は、目立たなくてもツボを心得た建築家だったに違いない。
掲載誌: 所在地: 東京都台東区上野公園8-43 行き方: 国立博物館入口を向かって左後ろの方向。東京都美術館の北側 ここでの分類: 戦前様式 訪問年月日: 03/02/28 参考: 「上野奏楽堂物語」東京新聞社出版局 その他情報:
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