岩崎久彌邸 (1896)
設計:ジョサイア・コンドル


三菱財閥の二代目、岩崎久彌の為にコンドルが建てたジャコビアン風の洋館
かつては15,000坪の広大な敷地に、広大な和風住居と洋館部があった。洋館と撞球室は現存



岩崎邸は現在は「旧岩崎邸庭園」となり東京都が管理している。 ここは三菱財閥の二代目、岩崎久彌の為にコンドルが建てたジャコビアン風の洋館である。 かつては15,000坪(およそ220m四方に相当する面積)の広大な敷地に、 広大な和風住居と洋館部があったのだが、和室部分の大半は失われた。 洋館部は全て残り、その離れである撞球室も残っている。 しかし敷地はかつての半分以下(三分の一?)しかない上に、 切り売りされたかつての敷地に民間のでかいビルが建っていて、 庭園の景観をいちじるしく損なっている。 それでもまだ残っただけ良い方だ。 岩崎家はコンドルにつごう6軒の家を設計させたが、 現存するのはこれを入れて2軒のみである。 この岩崎邸(茅町本邸)は、第二次大戦後、三菱が国に税金として物納したから残ったのであった。  



さて、当時の敷地を見ると現在の天神下の交差点近く(敷地の南側)に門衛があり、 ぐるっと東側を回って北側まで行ってロータリーがあって洋館のファサードが面している。 つまり、かなりゆったり長いアプローチが北上していて、 しかも邸宅の入口に相当する「顔」は洋館だった事が分かる。 このファサードは北面している。  



この洋館部は、私たちが行った時まだ修復中で入れなかった。 残念。 ここでは外観とか庭についてだけ述べておき、再訪した後で内部を解説しよう。  



 
   
 



  アプローチをぐるっと回るとパッと洋館のファサードが見えてくる。 このファサードは、写真を見た限りではかなりいかめしい装飾でケバい感じすらしたが、 実物も「コテコテして」見えた。 窓の上に、丸い半円アーチ状の造作が多くて目立つ。 そう言えばニューヨーク市庁舎(1803〜1813)の窓にもアーチが多く付いていたが、 あれは「ジョージアン」だそうだ。 玄関が四角い塔となって張り出しているのはジャコビアンの特徴らしい。



  しかし、木材に白っぽいクリーム色のペンキ塗りであり、これが私には気に入らなかった。 埃が付いて多少うす汚れているのだが、汚れ方に魅力や貫禄が出ていない。 更に裏に回るとペンキを塗り直しており、真新しくテカテカして品がない。 とにかく、私にとってはペンキ塗りというだけでバツですね。 でも良く見ると装飾のあり方に「品」のようなものも感じられ、 これはやはりコンドルが作ったせいではないかと思った。



  あと、庭は単にだだっ広く何の造作もない。 作為的に新しく庭を作ることも躊躇われているのだろう。 残存する和室部分は禅寺の方丈のような感じで広くて四角い。 チマチマしてなくて好感が持てる。 まぁ〜そのくらいかな。あとは再訪して書き直すこととしよう。





掲載誌: 
所在地:東京都台東区池之端1-3-45
行き方:不忍池の南端、池之端一交差点を南下し、すぐ西に曲がると約170m行って「旧岩崎邸庭園」入口が左に見える
ここでの分類:戦前様式
訪問年月日:03/02/28
参考:藤森照信、増田彰久『日本の洋館 第一巻』講談社
その他情報: 




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