大阪市ユースアートギャラリー (旧明治天皇記念館) (1935(1871))
設計:トーマス・ジェイムス・ウォートルス


「旧造幣寮鋳造所」の前面柱廊を昭和10年に移築保存
技師であったウォートルスによる古典主義ファサード
今では周囲にささやかな安らぎを与える



この建物正面にあるペディメントと列柱は、 1871年に造幣寮鋳造所のファサードとしてウォートルスにより建てられたもので、 それを1935年(昭和10年)に大阪市による現在の建物のファサードとして移築保存した。 この古典的オーダーについては、「さすがウォートルスはこんな事も出来た」という人と、 「ウォートルスは建築家でなかったから出来が悪い」と評する人に分かれている。 実物を見てまず思ったのは、思ったより規模が小さくて可愛い。 そして石柱を石積みで作った継ぎ目がしっかり見て取れる。 オーダーはシンプルなトスカナ式だが、エンタシス(柱の膨らみ)が殆どない。 いわゆるフリーズ、アーキトレーヴと呼ばれる水平部分が無装飾である。 しかしペディメントには不思議な丸模様が描かれている。恐らくこれは貨幣を表しているだろう。  



この小さな規模の建物で、シュンメトリア(各部のプロポーション)を評するのは難しいだろう。 しかしエンタシスがないから柱が突っ立っているようで貧相とも見える。 これで規模が大きかったら貧相さがもっと目立ったろう。 それに石の継ぎ目がこんなによく見えるのは何故か。 もともと非常に晴れがましい建物だったのだから、 継ぎ目はもっと隠すべきだったのではないか。 ウォートルスがどう思って作ったのかは知らないが、 とにかく柱の継ぎ目やエンタシスから、 建築家でない技師が作った古典ファサードだという事が見てとれるのではないだろうか。 んまあ継ぎ目のことは詳しくないから間違っているかもしれないが‥。  



 
   
 



  しかし、そうは言っても、実物を見た印象はじつは全然悪くなかったのである。 規模が小さいから、石積みのこの手作り感がとてもよく合っているのだ。 しかも背後の建物(昭和10年)の造作もよく出来ていて、 キーストンの入ったアーチ窓には威厳がある。 移築して貼り付けたとは思えないくらい2つの部分が良く合っている。



  それだけではない。 私はここが現在、若者向けのアートギャラリーだという事が気に入ってしまった。 この建物の由来なんておよそ知らないであろう若い高校生が出入りしている。 これが重要文化財だのウォートルスの作だの、そんな事は何も知らなくていい。 何の由来や先入見もなしにこの石造ファサードを見ると、 控えめに若い人に寄り添うようにそこに佇み、純粋な<過去なるもの>を呼び寄せている。 色々な事があっただろう。でも何も言わずにそこにあって、 ささやかな安らぎを周りに与えている。 いい感じだ。この佇み具合がとても気に入ってしまった。





掲載誌: 
所在地:大阪府大阪市北区天満橋1-1
行き方:造幣局の北向かいを僅かに北上したところ
ここでの分類:戦前様式
訪問年月日:03/01/24
参考:鈴木博之、山口廣『新建築学大系5 近代・現代建築史』彰国社、1993
その他情報:M阪34




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