泉布観 (1871)
設計:トーマス・ジェイムス・ウォートルス


石造の柱を持つコロニアル様式。明治4年の造幣局ゲストハウス



この建物は明治初期の様式建築であり、重要文化財に指定されている。 コロニアルというと私は木の柱をイメージしていたが、この柱はしっかり石造である。 床も石張り。ウォートルスが設計したし恐らく監督もしただろう。 だから擬洋風とは呼ばないし、石柱の寸法は正確である。 この石柱は柱の上の部分がオーダーにしてはシンプルで、いわゆるトスカナ式である。 しかし一方、屋根は桟瓦だし、軒の出を下から見ると何だか扇垂木のような放射状の造作が見える。 これは、作った日本人大工が思い浮かぶようなディテールといえないだろうか。  



パッと見て、正面が突き出ていてあんまり格好よいとは思えなかった。 それと外部に面している各鎧戸が唐突なスカイブルーに塗られていて、 どうもセンスを感じさせない。 竣工当初からこんな色だったのだろうか。 それから、この建物には窓がない。 中に入ると昼でも灯り(当時はランプとか行灯)を付けなければならなかっただろう。 そういう建物の作りは、当時は他にもあったのだろうか? 今見ると不思議に見える。  



 
   
 



  要するに、どちらかというとカッコ悪いし、暗くて使いやすそうでもない。 竣工当時はどうだったか分からないが、時代が経てば不評になったと思うのである。 ウォートルスは技師であって建築家ではない。 本当は工場や鉱山施設を設計しに来たのに、 遠い日本で他に人材もないから何でもやったらしい。 ある解説によれば「日本で一旗揚げようと来日したなんでも屋的な冒険技術者」だったそうだ。 ウォートルスというのは実は3人兄弟で来日した中の長兄の名前である。 3人で鉱山施設を色々やったらしいが、 建物としては泉布観が1871年、銀座煉瓦街が1872-75、 イギリス公使館が1872と、 居住する建物を次々と建てている。



  しかし銀座煉瓦街は日本の気候を考慮していなくて住みにくかったそうだ。 今回見た中では旧造幣正門・守衛所もウォートルス作だったが、 何というか「それらしい格好のものを建てた(だけ?)」という感じを受けた。 それ以上の建築家らしい配慮はどうも期待できなかったようである。 なぜ泉布観に窓が無いのか、それもウォートルスにまつわる謎(?)の一つかもしれない。





掲載誌: 
所在地:大阪府大阪市北区天満橋1-1
行き方:造幣局の北向かいを僅かに北上したところ
ここでの分類:戦前様式
訪問年月日:03/01/24
参考:鈴木博之、山口廣『新建築学大系5 近代・現代建築史』彰国社、1993
その他情報:M阪32




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