日本銀行大阪支店 (1903)
設計:辰野金吾


厳格でジョージア王朝スタイル的。すっきりした意匠
背後の新社屋との調和



辰野金吾は1903年に建築事務所を構えて独立してから、 主に民間の為にクイーン・アン様式に似た赤煉瓦の建物を多く作り、それらは「辰野式」と呼ばれた (クイーン・アン様式とは19世紀にリチャード・ノーマン・ショーが考案したものであり、 アン女王の在位である1702-14とは時代的に関係がない)。 一方それ以前は日銀や国家施設などが主で、 御影石を貼った厳格なスタイルが、ジョージア王朝的であるといわれる。 明治中期にかけて近代国家の立ち上げ期においては、国家の偉容を伝える厳格な外観を選び、 国家や経済がある程度軌道に乗った明治後期からは、 華やかでかつ煉瓦造で経済的なクイーン・アン様式的な意匠を、 民間のために多用したらしい。 ジョージア王朝スタイルの事は詳しく知らないが、 この銀行は見ての通り主知的・厳格で威厳を示すのに適したスタイルであり、 ネオルネサンス様式といえる。 ベルギーの国立銀行をモデルにしたと伝えられる。  



 
   
 



  日銀大阪支店は、厳格な外観(いわゆる辰野式以前)の最後の方の作品ではないかと思われる。 すでに辰野は設計事務所を構えていた。 この建物の設計には事務所の共同設立者である葛西万司だけでなく、 当時日本銀行に居た長野宇平治も加わっている。 同じ辰野の日本銀行本店(1888-96)より良いという人さえいる位、 すっきりとうまくまとまっている。 花崗岩の筐体に銅によるパラペットがアクセントとなる。 中央のエントランスとドームが、中心性の焦点となっている。 装飾は比較的控えめで、贅肉がない引き締まった様相を呈し、華々しさはない。 それが民間銀行ではない日銀の雰囲気をよく伝えているように思える。 1F部分の石表面が粗く仕上げられ、 2F部分が磨かれているのはルネサンス風の石造建物の習慣に従ったものであろう。



  この建物は一時取り壊しが予定されたが、村野藤吾や文化庁などの働きかけがあって、 1974年にファサード保存が決定された。 しかし辰野事務所が作った前面の建物以外は取り壊され、 背後に日建設計による大きな社屋が建っている(薬袋公明の設計)。 この新社屋は、辰野事務所の建物部分を大変意識していて、 外壁に似たような雰囲気の石材を貼っている。 また屋根(パラペット部分)が銅葺きで一体感を保っている。 建物の外形も、現代的な軽重の表現と、辰野の建物との調和を意識してできたものだ。 単に辰野の建物を見学するというだけでなく、古い建物と共存する現代ビルデザインを学ぶ上でも、 日銀大阪支店には見所がある。





掲載誌: 
所在地:大阪府大阪市北区中之島2-1-45
行き方:中之島と御堂筋の交点の西側
ここでの分類:戦前様式
訪問年月日:03/01/25
参考: 
その他情報:http://www3.boj.or.jp/osaka/




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