横浜港大さん橋国際客船ターミナル (1995-2002)
設計:エフ オー アーキテクツ リミテッド


スラブの概念を変えたうねるようなデッキを持つ超話題作
内部は柱・梁のない特殊構造



この建築は、 アレハンドロ・Z・ポロ(63-)+ファッシド・ムサヴィ(65-)によるものである。 彼らは1995年のこの建物の国際コンペで優勝し日本でも一躍有名になった。 伊東豊雄の仙台メディアテークとともに最も話題をさらった建物だから、 わざわざ解説する必要もないくらいだ。 仙台メディアテークは、柱を海草のようなチューブに変えてしまったけれど、 スラブ自体は厳格にフラットであり、その意味ではまだコルビュジェのドミノシステムを踏襲している。 それに対しfoaのこの国際客船ターミナルは、 スラブという概念自体を変容させたかったらしい。 普通のビルではとてもこんな事は出来なかったであろうけれど、 この施設の敷地や用途(プログラム)は、foaの目論見が実現可能となるものであった。  



この建物のデッキ(最上階)に立つと、うねりの建物という感じがよく出ている。 単純っぽく見えてもいざ歩いてみると景色の移り変わりが変化に富んでいる。 芝生がうねっている部分は山地の牧場みたく見えないこともない。 でも単に起伏を作りたかったとか、 そういう事ではなく「うねり」にはある種の現代的意味が含まれている。 それが一番よく分かるのが、手すりや外灯の傾き具合だ。 これはコンペ案の原図には書かれておらず、いささか「デコン」の様相を呈している。 そもそもこの建物の意図がスラブをデコンストラクト(脱構築)することであってみれば、 そもそもデコンと通底している(というか、デコンよりデコンらしい)。 彼らは、床とか外灯などの日常的なアフォーダンス(の感覚)を溶解させたかった。  



 
   
 



  アフォーダンスの溶解と言えば、何と言っても私は荒川修作+マドリン・ギンズの 養老天命反転地 を思い出す。 しかし荒川がカルマの反転という精神的バックボーンをもとに反転地を作ったのに対し、 foaの言によるとこの国際客船ターミナルはシンプルにパブリックスペースの変容を目指している。 通常の公共施設であれば「パブリックスペース」というれっきとした空間範疇が存在するが、 その区割りは施設の空間を硬化させている一因でもある(と彼らは言う)。 この施設ではどこがパブリック云々という議論や感覚が生じる前に、 まずもってデッキは「起伏のある場所」である。 パブリックが(その上で)成立していた通常のスラブが存在しない。 建物の側の深い変容が、既存の空間秩序の脱構築を促すというわけだ。



  まぁそういう事が本当に起こっているかどうかは、ご自分で行って体験して頂きたい。 ただ、いま改めてfoaのコンペ案のパースを見ると (ターミナル内部に掲示してあった)、 メタフィジカルな部分(観念・思想の部分)がとても重たく感じる。 実物のあのデッキのようにあっけらかんとした場所ではなく、 foaが作りたかった空間はもっと<観念>が横溢していた場所なのだ。 彼らの図案の、あの濃密な観念的場所ではパブリックの脱構築が起きていた。 それに比べ、現実のデッキは吹きすさぶ風で「観念」が吹き飛ばされてしまったかのようだ。 そのせいで、ものすごく鮮烈な空間体験という訳でもなかった。



  ただ、こういう新しい空間の試みでは、評価や空間体験方法が分かるのに時間がかかるものだ。 デッキそのものはよく出来ていたのではなかろうか。 私が「あれ?」と思ったのはむしろ内部だ。 内部はハニカム構造を駆使したと言われる柱・梁の無い構造で、見た目には折板構造である。 内部のホールに入ると、私の目はしっかり床と天井を認識した。 私達の持つ日常的・因習的な公共施設への空間認識が先に感じられてしまい、 柱・梁のない独特の空間を作るという意図が見えにくくなっている。 コンペ原案では、内部のホールはもっと人を飲み込む溶けるような空間だったのではないか。 ちょっとしたディテールや平面構成、天井高の変化などを使って、 もっと原案的の持つ雰囲気を実現する方法はあった筈だ。 こうなってしまった背景としては、施工技術上の制約だけでなく 日本の法規との絡みがあったのではないかと思う(どことは私には言えないが)。



 
   
 



ただ、そうは言っても細い出入口のニョロニョロした感じは出ていた。 いずれにしても建築構造的にはこれは非常に斬新なわけである。 「結局、(現実にできた)この建物って何なの?」という問いに私はまだ答えられない。 一般的に言っても、将来の評価は未知数のままである。 ただ、最後に言いたい。国際線の船が実際に接岸している時に見てみたかった。 その時に初めてこの案(建物)はその意味を十全に明らかにする筈だ。 きっともっとずっと生き生きとした建物に見えたに違いない。





掲載誌:新9503、新0106、JA45、新0206
所在地:神奈川県横浜市中区海岸通り1-1
行き方:関内駅と石川町駅の間の大桟橋通りをまっすぐ北上
ここでの分類:現代お奨め
訪問年月日:03/02/27
参考: 
その他情報:sv:38/わ164




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