倉敷アイビースクエア (1974)
設計:浦辺設計、浦辺鎮太郎


明治の紡績工場をアメニティ施設として再生した成功事例



この建物は、閉鎖されていた明治の紡績工場をアメニティ施設として再生したものである。 1974年(昭和49年)という時点でこのような大がかりな再生は他になく、 保存・再生の好事例として知られている。 内部には色々な施設、棟があるが、その中心はホテルである。 ホテルは、のこぎり屋根が連続する工場の棟を間引くことにより造られたという。 しかし中庭に面した綺麗な造作は、後から作り直したものであろう。 ただし建材は極力、解体した工場のものを使っているそうだ。 スクエアの中には工場の屋根をそのまま使っている所もかなりあって、 工場だったときの空間や雰囲気を彷彿とさせる。  



 
   
 



  ホテル以外にも色々な施設が作られているが、商店と展示関連の施設が多い。 展示関連の施設には展示内容がつまらないものが多く、閑古鳥が鳴いていた。 商店は美観地区にやってきた人がそこそこ利用するが、 ホテル中心で商業施設にはそんなに力を入れていない。 スクエア全体は高いレンガ塀に囲まれていて、外から閉じた独特の世界を作っている。 最近の商業施設はノウハウを色々持っているから、 それらを使って上手に演出すれば、この場所はもっと収益があがると思う。 いや、ホテルが牽引車になってスクエアの運営がうまく行っているのであれば、 端から言うことは何もない。 しかし折角の再生事例が経済的に破綻したら大変だから、 それならむしろ、美観地区にやってくるミーちゃんハーちゃん相手に もっと更に沢山金をふんだくる方法があるように思えるのだ。



  まぁそういうカネの臭いのする話はともかくとしても、 展示空間として、本当にこれで良いのだろうか。もっと新しい方向性がある筈だと思う。 古い雰囲気を現代的なものにどんどん接ぎ木してゆくべきである。 それでこそ古いものが生きてくる。 そもそも作った時はそういうつもりだったのではないのか。 倉敷という場所は過去の保全という意味で上手に出来過ぎちゃった気がする。 だから、そんな中にあるアイビースクエアも、 「これで良かったですね」という安定した雰囲気に浸ってしまっているのではないか。 動きが少ない気がする。





掲載誌:新7407
所在地:岡山県倉敷市@@@
行き方:倉敷美観地区の中の東側
ここでの分類:戦前近代、改築
訪問年月日:02/10/3
参考:『現代建築の軌跡』新建築1995年12月臨時増刊、新建築社
その他情報:@@@




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