厳島神社 


入江から海の方に向かって開いた神社。鳥居が有名
寝殿造りをベースにした壮大な舞台空間



この神社のある島には、元々人が住んでいなくて神社だけがあったという。 で、神社の神主さんが舟でこの神社に入るときの為に、 あの有名な鳥居が立てられているのだという。 とにかくこの神社の<正面>は海である。 陸には背を向けて、海に向かって「さあ、いらっしゃい」と呼びかける。 海に向かって開いている、それがこの神社の方向性だ。 そういう神社は他にない(であろう)。 これが厳島神社の最大の特徴である。  



 
   
 



  次の特徴は、平面が寝殿造りを模していることだろう。 と言うか、本殿の前に神楽の屋外舞台があって、 それを中心に寝殿造り的な翼廊が構成されているのだ(屋内舞台もあるが)。 壮大なシンメトリックな渡り廊下である。 とにかく連子窓は作らず、柱ばっかしで視界をさえぎるものがない。 そして屋外舞台は回廊の床より一段高くなっている。 どういうことか?  そう、回りじゅうから屋外舞台(高舞台)を見物するような格好に作られているのだ。 舞台を取り囲む廊下に、人々がいっぱい集まって見物している所を想像して欲しい。 この視線の演出の為にこの渡り廊下があると言っても良いのではなかろうか (まぁ実際には渡り廊下の端っこからは高舞台は見えないのだけれど)。



  正面左側から神社に入る。翼廊をずず〜っと渡ってゆくにつれて、廊下と廊下、 柱列と柱列の関係が様々に変化する。 入口から廊下をつぎつぎ渡って、何となく方向が分かりにくくなった時にパッと本殿や高舞台が見える。 この行程というか景色のシーケンス、空間の関係性の中に、 いちばんこの神社らしい空間性のようなものを感じる。 こういう水面と社の関係、水の上の回廊というと、 京都の神泉苑(二条城の南にある)が有名だったらしい。 いや現代の話ではない。いまの神泉苑はかつての神泉苑のごく一部でしかない。 二条城を作る時に大々的に削られた結果がいまの神泉苑だ(たしかそうだった)。 きっと回廊が回してあった。 京都で回廊といえば大覚寺が知られるが、あれが水の上だったらどうだろう?  水の上の回廊というと、やっぱり何か独特の感触がある。



  かつての神泉苑だったら、京都だから公家とか貴人の、独特の上流社会の雰囲気が伴ったであろう。 厳島神社もその構成からしてシャレた舞台となっている。 そして何といっても人がわんさと入る大きさを持っている。 相川浩はその著書『日本の名建築をあるく』の中で、厳島神社をギリシア悲劇の舞台と比較している。 ギリシア悲劇の舞台はすり鉢型をしていて、全員が舞台をマジで見据える求心的な舞台だ。 厳島神社はそれと比べると如何にも放漫である。 この放漫で人が集まるという建築的性質(開放建築)を、 相川は日本の建築のあり方の、一つの原点だと考えている。 う〜ん、そう言われたらそうかなぁ。 日本人って、昔はすごく開放的なところもあったんだナァって感じ (現代日本人はどう見ても開放的じゃないが)。



  それとあと、この神社で述べておきたいのは、 この神社が平清盛の帰依により12世紀に大増築されたという話だ。 清盛が参詣した時の夜景を想像してみて欲しい。 数々の舟が海に浮かび、無数の篝火・灯篭が水に映る。 僧たちの読経(神社で読経!)。 お付きの人々の山、そして群衆。 そんな中を清盛が舟で神社正面から入ったら、スゴく合ってたと思うんだが、 そうだったかどうだったかは分からない(であろう)。 とにかくこの神社の歴史上、いちばん盛り上がった夜であったに違いない。





掲載誌: 
所在地:広島県佐伯郡宮島町1-1
行き方:JR宮島口から船に乗る
ここでの分類:歴史建築
訪問年月日:02/10/2
参考:相川浩『日本の名建築をあるく』ちくま新書、1998
その他情報: 




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