広島市西消防署 (2000)
設計:山本理顕


署員の訓練を含む様々な活動があり、自由に見学者が出入りし、活動が交錯する<場>としての建築



この消防署には見学者の為のスペースがあって、いつでも自由に出入りできる。 建物は鉄骨のフレームで構成されており、 ジャングルジムみたいに内部を見通すことができる。 建物外部からもルーバーを通して中が見通せる。 オープンネスがこの建物を作る方針だった。 建物の中心にはアトリウムがあり、各階に床を抜いた吹き抜け部分がある。 階ごとにその平面が違うから、上から見ると、もうすっちゃかめっちゃかである。  



オープンにした建物の内部では、署員の様々な活動が繰り広げられるようになっている。 ロープブリッジや16mの梯子を登りレスキュー隊員の訓練が行われる。 地下で体育訓練が行われる。 もちろん事務作業がある。人が歩く。出動も行われる。 これらが実際に見えたり気配が伝わるように出来ているのだ。 それだけではない。 それを見学する地元の人々、幼稚園児、その他の人々、という活動が交錯する。  



 
   
 



  アトリウムは空調していない。この建物の中の大部分は実は「外部」である。 雨は防ぐけど、ルーバーは常に風を通す。これも全て訓練という活動が中心の建物だからだ。 しかし、このように徹底して活動の<場>である事だけに徹した建物だけに、 その活動がある時と無いときで、まるで建物が変わってしまった位の大きな雰囲気の差が生じている。 そういう意味のことを山本理顕は語っている。 私達が行ったときは、残念ながらその「活動」が殆ど起きていない時だった。 その建物の姿は、鉄骨フレームでできた一つの機械のようだった。 ちなみにこれを見る前日にビッグハート出雲を見学していたのだが、 人びとのアクティビティが「主」で、建築が「従」だというその狙いには、大きな共通点がある。 更に私はこの消防署の鉄骨を見ていて、ふとジャン・ヌーベルの アラブ世界研究所 を思い出した。 あの真ん中の吹き抜けにも、ヌードエレベーターが上下して活動が交錯する空間があった。



 
   
 



この建築は活動の場になり黒子になることに徹している。 山本理顕設計工場が担当しているのだから、ディテールやサインは勿論よくデザインされている。 しかしデザインは「図」となって自己主張するのではなく、 もっと別のもの、つまり人の活動の背景に「地」となって埋もれている。 そういった趣旨のデザインとしての「完成度」に、私はたいへん感心させられた気がする。





掲載誌:(新9712)/新0007/GA-JPN45
所在地:広島県広島市西区都町43-10
行き方:市電「南観音町」下車スグ北
ここでの分類:現代お奨め
訪問年月日:02/10/2
参考:新0007
その他情報: 




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