平和記念公園 (1955他)
設計:丹下健三、他
* オーソドックスな軸線・シンメトリー構成による庭園 * コルビュジェ・伊勢的と評される平和記念資料館
この公園は1949年のコンペに当選した丹下健三等の計画によるものである。 まず何と言っても元安川沿いに原爆ドームがある。 これを南から見渡す川の洲の先端に、公園の敷地は位置する。 一方、公園の南には平和大通りが通る。 ご存じの通り、平和大通りに面して平和記念資料館を中心とする3棟の建物が並ぶ。 その3棟を結ぶ軸に直角に、原爆ドームを向いた慰霊碑の軸線が配置されている。 平和大通りに面した、公園への「エントランス」とも言える正面性が確保されると共に、 原爆ドームへの執拗な軸線が仕組まれたのである。 構成はオーソドックスであるが、本当にサマになる手腕が丹下に求められたのかもしれない。
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その中心となる平和記念資料館は、いかにもコルビュジェ的なピロティに立ち上げられて、 ルーバーを持つガラス張りの箱で構成される。その姿は伊勢的とも称される。 丹下はこれに先立ち、レーモンドのリーダース・ダイジェスト社(新5109)を丹念に見て回ったという。 資料館のシンプルな外観をどう作るか、 リーダース・ダイジェスト社の構造的ディテールを参考にしたと言われる。 この後も、1989年に丹下による広島国際会議場が作られ、 2002年には息子の丹下憲孝による原爆死没者追悼平和祈念館が作られている。 丹下憲孝による記念館は、 追悼空間に自然光を呼び寄せるなど演出としてはオーソドックスな感じがするが、 現代的な表現を取り込んでうまくまとめられていると思う。 6千余人の死没者の顔写真が次々に出るのは確かに圧巻である。
この公園は、東京都庁舎と共に丹下家の執念がこもっている。 「日銀、東京駅、議院の三つを作りあげることが建築家としての本懐」 と述べた辰野金吾と同様、丹下にも「本懐」があったのでは?、と想像してしまう。
掲載誌: 新5606/新8907/新0208 所在地: 広島県広島市中区中島町1 行き方: 市街中心部の南西、市電「原爆ドーム前」下車 ここでの分類: モダニズム、他 訪問年月日: 02/10/2 参考: 新0208 その他情報:
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